1.はじめに

自閉症では,意味があいまいな多義的表現を字義的に理解し,非字義的な意味を理解できないという問題がしばしば指摘される(Frith,1989).Perkins2007)はある自閉症の少年が,7つの空欄を書いた紙を与えられ,“write the days of the week in these seven boxes”と求められて,7つの曜日を書き込むのでなく,”the days of the week”1欄ずつに書き込んだ例を紹介している.こうした非字義的な意味の理解の失敗はPerkinsのいうように,おそらくは推論の困難に伴うものと考えられる.それに対する臨床的対応は“write Monday in the first box, Tuesday in the second boxのごとく言語的により明示的に伝達することで自閉症者の推論の負荷を弱めることにつきよう.

ただ,こうした字義的理解の問題は上記のような会話エピソードとして記載されてはいるものの,自閉症者がどのような条件のもとで非字義的理解に失敗し,字義的理解に至るのかに関する検討は十分でない.また,臨床的には,彼らは必ずしも多義的表現を常に字義的に理解するとは限らないという印象がある.したがって理解を字義的にする要因が何かを明らかにするには,多義的表現理解にかかわる多数の会話エピソードを詳細に分析すると共に,実験的に用意した課題への反応について検討することが必要である.しかしそうした手法はまだ乏しく,次のような若干の試みがあるに過ぎない.

Happé (1993)は,9歳から28歳の自閉症児・者18名に,短いストーリーを読ませた後で,登場人物の隠喩及び皮肉の意味について2つの選択肢から判断する課題を提示した.彼らのうち第二次水準の心の理論を持つ者のみが皮肉を理解し,第一次水準の心の理論にとどまる者は隠喩を理解できるが皮肉を理解できず,心の理論自体をもたない者はそれらのどれも理解できなかった.文字表記された文章中の多義的表現の意味理解には,文脈との照合だけでなく,読みの負荷も関係する.読みに習熟していない年少の子どもにはこうした課題は不向きかもしれない.

Mitchell,Saltmarsh,Russell(1997)は,登場人物が場所Aにおいた事物が,実験者によって場所Bにおいた事物と入れ替えられた後に,最初の登場人物からの実際にはBにある事物の要求に対し,自閉症の子どもがダウン症の子どもに比べて字義的に理解することを見出した.すなわち,自閉症児はダウン症児よりも” Now, can you get Dad the bowl he really wants?”という実験者の質問に対して,父親が場所Aにあると信じているbowlでなく,場所Bにあるbowlをとることが多かった.Mitchell ほかはこうした課題への反応を「自閉症における字義的理解」とみなしている。しかし,これは多義的であいまいな文の理解というよりは,誤信念の理解そのものを見ていると思われる.      

Ozonoff and Miller(1996)高機能自閉症成人にテープレコーダ上で種々の挿話を聞かせたところ,冗談と推論が必要な物語理解において統制群よりも劣るものの,“Can you see that house number?”といったあいまいな質問は,むしろ過度に非字義的に理解することを見出した.自閉症児・者は曖昧文を字義的に理解するという見解に対立する結果として興味深い.Ozonoffほかは,“Can you…? 型の質問は非字義的に理解しなければならないという過学習を推定している.ただ,この課題も間接発話の一つの型に限定されており,過剰な非字義的理解がより広い範囲の多義的表現について見られるのかどうかはさらなる検討を要する.

ところで,KessKess・西光,1989)は英語の日常表現に,1)語彙的な多義性,2)統語における表層構造的多義性及び深層構造的多義性,3)統語構造における格の多義性,4)意図的か偶発的かの多義性,5)抑揚による統語的な多義性,6)間接発話行為,7)談話的多義性としての皮肉・いやみ,8)談話意図の多義性,9)慣用句と隠喩,10)子どもの言葉遊びなどの多様な多義性が含まれていることを示している.西光(Kess・西光,1989)はKessの記載した英語表現に対応する日本語多義表現を探索し,約30にのぼる多義性のタイプを列挙している.

こうした多義的表現そのものの多様性を踏まえると,先に示した実証研究は対象とした多義性の範囲が狭すぎるといえる.また,Ozonoffほかの示した曖昧文理解における自閉症児の非字義性や理解の仕方の一貫性のなさを考慮すると,多種多様な多義的表現の理解を同時に比較検討しなければ,自閉症児・者の字義的理解問題の正確な把握が難しいことが示唆される.

そこで本研究では,上記のような多様なタイプの多義的表現の理解に関する一般小学生を対象とした研究(大井,高橋,2005)の結果と,同学年の高機能自閉症スペクトラム障害の子どもから新たに得る結果との対照を試みることとした.大井ほか(2005)は西光の論考に基づいて,17種の多義性タイプからなる50の多義的表現を作成した.成人対象の多義的表現理解を検討した金子(1987)の手続きを参考に,小学2年生から6年生の子ども666名に,一つの多義的表現が,それについての異なる二つの理解に相当する状況絵のいずれにマッチするか,字義的理解を1とし非字義的理解を5とする5件法で評定させた.金子(1987)は2通りに解釈可能な両義文の解釈の偏りを、被験者の中での一方の解釈の選択割合として定義し、構造上の両義性について検討した。金子は字義−非字義というカテゴリー化はしていないが、本研究では各課題について3名の大学生全員が選択した方の解釈を非字義的とし、選択しなかった方を字義的解釈とした。二者択一としなかったのは,この研究の予備実験に参加した大学生が選択に迷うことがしばしば認められたためである.評定結果の因子分析によって「慣用表現・比喩理解因子」と「文脈情報の利用因子」の2因子が抽出された.両因子とも学年と共に尺度得点が上昇する傾向がみられ,非字義的理解の程度が高まることが示された.「慣用表現・比喩理解因子」では4年生と5年生の間で,「文脈情報の利用因子」では2年生と3年生の間で大きな年齢的差異が見られた.

本研究の目的は,一つ一つの多義的表現ごとに,高機能自閉症スペクトラム障害のある小学生と,一般小学生との評定値を比較することである.それにより、多義的表現について,高機能自閉症スペクトラムの小学生が一般小学生に比べて字義的(ないしは非字義的)な理解の偏りをどの程度示すのかを把握し,あわせて大井ほか(2005)の一般小学生の結果から抽出された2因子がその偏りにどのように関連しているかを検討する.

2.方法 

2.1研究の参加者

2.1.1.本研究に参加した子どもの内訳は表1のとおりである。高機能自閉症スペクトラム障害(HFASD)群については,東海北陸地方で活動する自助グループから募集された小学2年生から小学6年生までの53名であった.いずれも精神科医または小児科医からアスペルガー症候群,高機能自閉症,高機能自閉症スペクトラム障害,あるいは広汎性発達障害の診断を得ていた.多義的表現理解課題の実施前3年以内に受検したWISC-VのFIQ平均値は92.26SD,19.56)であった.

2.1.2 一般小学生(ESK)群は,大井,高橋(2005)の研究に参加した一つの小学校の2年生から6年生までの各学年4クラスのうち,任意の1クラスから,名簿の先頭にある男子8名と女子2名の計10名を抽出した総計50名(男子40名,女子10名)であった.彼らについて,高機能自閉症スペクトラム障害を含むなんらかの障害の有無,及び知能に関する情報は得ていない.したがってこの群が完全に障害のない定型発達群であるという保証は完璧ではない。ゆえに定型群でなく一般小学生群とした。通常学級においてなんらかの発達障害を持つ子どもが6%強存在するとされる実情(註)を反映したサンプルと考える。両群の平均学年に差はみられなかった.なお,両群を全体として比較するほかに,低学年HFASD群と低学年ESK群,高学年HFASD群と高学年ESK群の比較も行うため,両群とも2,3,4年生からなる群と,56年生からなる群に下位区分した.高低学年別比較の理由は,多義的表現理解に関連する可能性がある第一次水準の心の理論課題を,言語精神年齢が9歳頃に通過することがHappé(1995)によって示されており,高学年と低学年とでは理解の仕方が異なると予想されるためであった.低学年及び高学年ともにHFASD群とESK群とで平均学年に差はみられなかった.

2.2材料

大井ほか(2005)が作成した,17の多義性タイプにつき各2ないし5つの多義的表現理解課題,計50の課題,及び各々の課題の字義的及び非字義的2通りの理解に相当する状況絵(付図)を用いた.なお,大井ほか(2005)においては,障害児教育専攻の大学4年生3名が課題毎に2種の絵の字義的と非字義的な理解への割り振りを行った.50課題すべてで3名の割り振りは一致していた.各課題中の漢字には振り仮名を記した.

2.3手続き

HFASD群は個別または数人の小グループで,ESK群はクラスごとに集団で,2つの状況絵のどちらが刺激文にあてはまるか5段階での評定(付図)を求めた.50文に先立って2つの練習問題を実施し,手続きが理解できない子どもには, HFASD群については通常指導している小グループ担当の大人が,ESK群の場合は学級担任が説明した.実施時期は,HFASD群のうち42名が20078月,11名が200512月,ESK群は20049,10月であった.

3.結果 

HFASD群とHFASD群とを、多義的表現50課題すべてについて、全学年,低学年(2,3,4年生),高学年(5,6年生)の3通りでMann-WhitneyのU検定により比較した.全学年では表に示す9課題で両群に5%水準の有意な差(片側検定を含む)を認めた.うち3課題はHFASD群における字義的理解への偏りを,残り6課題は逆に非字義的理解への偏りを示した.低学年で比較すると6課題について有意差が認められた.うち5課題が全学年比較と同じもので,偏りの方向も同一であった.課題22だけは低学年に固有で,間接発話の意味を字義的に理解する方向に偏っていた.高学年比較では有意な群間の差を示した課題はなかった.字義的または非字義的な偏りがあった多義性のタイプは計9種であった.「並列名詞に対する修飾の多義性」に複数課題で有意差があったほかは、いずれの多義性タイプでも1課題であった.

HFASD群が偏りを示した課題のうち,大井ほか(2005)が得た「慣用表現・比喩理解因子」の負荷量が高い13課題に該当したのは,字義的理解へ偏った1課題であり,「文脈情報の利用因子」の負荷量が高い9課題に該当したのは,非字義的理解に偏った3課題であった.

なお,各群間で有意差のあった課題におけるHFASD群とESK群それぞれの平均評定値の差の最大値は1.33,最小値は0.21であった.

4.考察 

本研究で取り上げた多義的表現の理解課題の大多数にHFASD小学生と一般小学生の差がなかった.そこにはHappé(1993)が自閉症児・者では字義的に理解されるとした皮肉も含まれていた.これは学齢児を対象とした矢田ほか(2009)の結果と同様であった.以下に述べるとおり、研究による刺激の提示様式と反応方法の違いが結果に影響した可能性がうかがわれた.Happé1993)においても,また学齢のHFASD児における皮肉理解の困難を見出した三橋,中村(2004)及び安立,平林,汐田ほか(2006)においても,皮肉を含む文字表記された文章が提示された.その理解を測るため,Happéは自閉症児・者に皮肉表現の字義的,非字義的意味の二者択一を話しことばの選択質問で求めた.安立ほか,三橋ほかは文字表記された4ないし5択から一つを子どもに選ばせた.これらに対し,本研究では文字表記した皮肉と,その字義的及び非字義的な意味を表す状況絵との照合ならびに評定を子どもに求めており,矢田ほかは,状況絵と文字表記した皮肉をみせて,子どもに意味の言語化及び文字表記した意味の三者択一を求めた。状況絵を手がかりとしたことがHFASD小学生の皮肉理解を容易とした可能性がある。本研究で,皮肉以外の課題でHFASD小学生における理解の偏りが見出せなかったのも同じ理由によるかもしれない.文字情報に比べて状況絵からは多義的表現理解に利用する文脈情報を得やすいため,理解の字義性が弱められた可能性がある.さらに,絵の選択という本研究に独自な反応様式も,文字表記された複数意味からの選択や話しことばでの回答に比べて容易であるという可能性がある。矢田ほか(2009)ではHFASD小学生が,4コマ漫画中の登場人物の間接要求表現の意味を自らことばにする場合には字義的に,大人が用意した選択肢から選ぶ場合には非字義的になることが示されている.多義的表現理解は刺激文への反応方法にも左右されるようにみえる.

一方,本研究に参加したHFASD児の多義的表現理解に偏りがなかったわけではなかった.ただし字義的に理解する方向への偏りがみられたのは4課題にとどまり,それを上回る6課題で非字義的に理解する方向への偏りが認められた.字義的理解への偏りの一つ,隠喩理解の失敗(課題35)はHappé (1993)の結果と同様であった.しかし他の四つの隠喩課題(33,34,36,37)では理解の偏りはない.課題による理解の違いの意味を検討する必要がある.

字義的理解への偏りの二つめは,「と」が表示する格を行為対象とし,共同の行為主としないもの(課題19,付図)であった.警官が誰かと協力して泥棒を捕まえるということよりも,出来事としては慣習的である警官が誰かを捕まえる方を選んだものと思われる.字義的理解への偏りの三つめは間接発話行為(課題22)であった.間接的要求を字義的に理解する点では,軽度遅滞水準の自閉症成人についてPaul and Cohen(1985)が見出した結果と一致する.しかし間接発話の別の課題(23)では理解の偏りは認められず,やはり課題による理解の違いがあった.字義的理解への偏りの4つめは並列名詞の多義性(課題7)にかかわり,意味理解における言語構造への依存を示すと考えられる.しかし,同じ多義性タイプの課題8では非字義的な理解への偏りが示されており,やはり課題による理解の違いがあった.

本研究で見られたHFASD児における非字義的理解への偏りには,Ozonoffほかのいう非字義的意味の過剰学習に似通った面がある.“Can you see that house number?”,合衆国などの住宅地における家屋探索場面で慣習的に用いられるであろう.単に家屋番号の数字が見えるか否かを問うのは特殊な例(例えば視力の比較)で慣習性は低いと思われる.

非字義的な意味理解に偏った6課題のうち二つは,意図的だが非現実的な行為主の行為ではなく,偶発的に生じる現実的な出来事を選んだもの(課題11,12)であった.これらの課題で字義的な意味を選ぶには,慣習に反する行為主の意図と,それに基づく非現実的な出来事を文に含まれる動詞から想定しなければならない.本研究ではHFASD小学生がより現実に沿った選択をし,一般小学生のほうがむしろ文中の行為主の非慣習的な意図に基づく非現実的な絵を選択していた。自閉症における理解の字義性という,これまであまり疑われなかった仮定(Ozonoffほか)から見れば逆説的な結果が示された。しかし見方を変えれば,HFASD児は慣習的な現実から独立した多様な意図を,文中の登場人物に想定することが困難であるとも考えられる.文中に動詞が複数ある場合,否定の範囲を広く取って現実的な出来事の方を選ぶ(課題17)のも,慣習に反する意図と非現実的出来事を想定しないという点で上記2課題同様の背景が推定できる.並列名詞に対する修飾句の関連を非字義的に理解した課題7,8で「犬並みに大きな猫」や「白いカラス」が現実性に乏しいゆえに排除したとすれば,やはり同様の事情がうかがえる.課題20(誘導文)では修飾句が直後の動詞と離れた動詞のどちらにかかっても非現実的ということはないが,焼き芋は庭で落ち葉を用いて焼くという,都市生活では現実に乏しいもののメデイア上ではステレオタイプとなっている画像的知識に影響されたものと思われる.談話意図の多義性(課題27)での非字義的意味への偏りは,慣習的な談話のやり取りパタンに沿ったものであろう.これも,よりステレオタイプから遠い,多様な意図を想定できないということと考えられる.

本研究の結果が,1)HFASD小学生の字義的理解への偏り,2)一般小学生と同程度,及び3)非字義的理解への偏り,という3通りに分かれた意味は,今後同一多義性タイプの課題間比較により明らかにする必要がある。そこでは,表現,絵の内容,絵と表現の関連を検討することとなる.3課題の結果が上記の3通りに分かれた並列名詞の多義性課題はよい検討対象である。字義的意味を示す状況絵が非慣習的・非現実的な場合は非字義的理解へ,そうでない場合は字義的理解へ偏る可能性が示唆される.

大井ほか(2005)は,本研究で用いた多義的表現理解課題50について,一般小学生666名から「慣用表現・比喩理解因子」の因子付加量が0.35以上のものが13課題,「文脈情報の利用因子」が同様のものが9課題あることを示した.これらのうちHFASD群が偏りを示した課題と重なったものは4課題にとどまり,2つの因子との間に目立った関連を認めなかった.HFASD児の多義的表現理解に寄与している能力は一般小学生とは異なる可能性が示唆される.

全学年比較に比べて,低学年比較で有意な偏りが少ないのは,一つには群のサイズの違いという統計処理上の問題と思われる.高学年比較で差がないのは,多義的表現理解に関連する認知的・言語的発達の反映である可能性がある.言語精神年齢9歳を過ぎると第一次水準の心の理論が獲得され(Happé,1995),非字義的意味理解が容易となるという可能性が示唆される.

最後に本研究の結果から,自閉症児・者が多義的表現を字義的に理解するのは特定の条件の下でのことあり,隠喩と皮肉という自閉症の特徴を敏感に反映すると従来考えられてきた言語事実を含めて,彼らが無条件に言語を字義的に理解するのではないことが示唆される.有意な偏りがみられた課題における平均評定値の差がHFASD及び一般小学生の間でそれほど大きくないことも,自閉的でない子どもが非字義的に理解し,自閉的な子どもが字義的に理解するというような二分法的な見方が適当でないことを示している.多義性のタイプ,表現,刺激の提示法によって,理解が字義的に傾くか非字義的となるかが,二項対立的にではなく連続量として変動することが示唆される.それに関与する要因(本研究の結果からは意味の慣習性が想定される)を明らかにし,字義的理解についての妥当性の高い評価法を構築していくことが求められよう.

 

註 文部科学省「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する全国実態調査」調      http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/018/toushin/030301i.htm

 

 

文献

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謝辞

本研究は,科学研究費補助金(基盤研究(B(2)),課題番号14310059(研究代表者,高橋登)に基づく研究の一部である.ご協力いただいた大岡治恵先生(日本福祉大学中央福祉専門学校)はじめ関係する方々に感謝します.